1816年3月12日、スペイン人征服者と先住民たちの戦いがあった―
ボリヴィア南西部のチュキサカ県には憲法上の首都スクレ市があり、そこから車で約2時間走ったところにタラブコ(Tarabuco)という小さな町があります。海抜3000m、小高い山々に囲まれた町の周辺には50余りの村落が点在し、農業や牧畜を中心とした昔ながらの生活をしています。ここに暮らす人たちは、元々ティティカカ湖畔に居住していた先住民であり、隣国ペルーからのインカ族の侵入によって先祖代々の土地を追われ、約750km離れたこの地にやってきました。
アンデス山脈の全域に及んだ広大なインカ帝国が、スペイン人の侵略によってあっという間に滅ぼされ、植民地にされました。その後、長きにわたってスペイン人の圧政に虐げられてきた先住民たちは、各地で反乱を起こし、武器を持って自由と独立を求めて立ち上がり、スペインの軍隊と戦い、タラブコの町で勝利しました。
このタラブコ町と周辺の村々から集まった人たち参加し、一年に一度盛大に行なわれる祭り“プフリャイ(Pujllay)”は、インカの言葉“ケチュア語”で“戦いの踊り”を意味します。この祭りは、先住民がスペインの侵略軍と戦って初めて勝利した日を祝うと同時に、戦死した多くの同胞たちの魂に哀悼を捧げる儀式となっています。
祭りは、町外れの小高い丘の上の小さな教会で行なわれる一風変わったミサで始まります。ミサは、集まった踊り手たちを前にして先住民の言葉“ケチュア語”で行なわれます。
土着の信仰から無理やりキリスト教(カトリック)に改宗させられた人々ですが、異教は受け入れても自らの言葉だけは頑なに守っています。踊り手たちは、大地の神「パチャママ(Pachamama)」に戦いの勝利と大地の恵みに感謝するため、力強く地面を踏みつけながら踊ります。その音は地鳴りとなって町中に響き渡り、竹笛・角笛(牛の角製)もまるで動物の群れが雄叫びをあげながら迫ってくるような響きです。踊り手になれるのは、家族や村の人たちから大人として認められた男子だけで、地元の人たちの間では、この祭りを一人前の大人(成人)になる儀式として捉えている人も多いようです。特徴的な衣装“ポンチョ(貫頭衣)”は、女性たちが数ヶ月(約2ヶ月)かけて織った物です。一日中続く祭りの間、踊り手たちは“コカの葉”を噛み、時にとうもろこしを発酵させて作った酒“チチャ(Chicha)”を飲みながら踊り続けます。
先住民たちに語り継がれてきた逸話として、次のような話があります。その日、勝利に酔いしれた戦士たちのうちの一人が、敗北者スペイン軍の胸を引き裂いて心臓を取り出し、敵軍の力を自分に取り込み、さらなる力を得るためにそれを食べたということです。また、以前はこの辺りの植物は、決して花を咲かせることがなかったそうですが、その時以来、毎年花を咲かせ、実がなって、すべての人にその恵みが与えられたそうです。
華やかな祭りの後、人々はいつもの暮らしに戻ります。一夜明けてまた陽が昇り、勇壮な踊りを踊っていたタラブコの先住民の男たちの、畑を耕すその姿が自信に満ちてとても誇らしげでした。
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